副業・兼業とは何であるか
具体的な「副業・兼業」の事例検証に入る前に、もう一度「副業」および「兼業」とは何であるかを確認しておきたい。厚生労働省の 「副業・兼業の促進に関するガイドライン」においても、具体的に「副業」および「兼業」が定義されているわけではありません。すでに一般的な日本人の共通概念として浸透している感が強いこともあり、あえて言葉の定義をするまでもないとの判断があったものと見受けられます。とはいえ、今回あえて、今後の論旨の方向性が間違うことを避けるため、この「副業」・「兼業」なるものを定義してみたいと思います。
まずは、大きな流れとして「副業」・「兼業」を分類した場合、下記(図1)のように分類できると考えます。
まず副業を語る場合、「副業」の対義語として「本業」が当たることは容易に想像できます。また、「副業」や「兼業」という表現は雇用者から見た場合の「雇用形態」という範疇には含まれず、あくまで被雇用者からみた「就業形態」の一部と考えることができます。
このように「本業」と「副業」を語る場合、まず誰にとっての「本業」、「副業」なのかを考える必要があると思われます。図1で示すように「本業」、「副業」を分類する場合、あくまで「私」からの視点として「被雇用者からの視点」で分類していることが見て取れ、逆に雇用者からの視点で見た場合、雇用形態上では今のところ一部の企業を除いて「副業」という選択肢は存在せず、あくまで自社における雇用契約をもとにした「本業」としての被雇用者との関係が存在するのみです。反対に被雇用者の立場からすると、「本業」以外にも「副業」、「兼業」、「複業 」*と選択肢は豊富です。要するに「本業」という視点は、被雇用者からの視点で表現される「被雇用者自らの職業選択肢オプションの一形態」といえ、被雇用者自身が主要に所得を得ている職業といえるかと思われます。労使関係は雇用契約で縛られる一契約のみが存在し得るのですが、被雇用者としての個人からの視点としては、憲法で保障される「職業選択の自由」があるということでしょうか。
(*「複業」:プロジェクト等を掛け持ちして同時進行で進める仕事の形態。)
視点を少し移して、仮に行政の立場から見る場合、社会的な側面から、国民主権の権利保護の意味としての「強い立場の企業」への牽制の意味も無論あるでしょう。しかしながら、実際のところは世論の変化や権利保護の意味合いよりも、今後確実に訪れるであろう少子高齢化社会における日本国民一人一人の生産性を少しでも上げなければ国家の実力として、日本が国際的な競争力を失ってしまうという危機感があるようにも思われます。今後人口構成比で若年層の比率がどんどん下がり、これまで生産年齢人口と呼ばれた就労年齢構成群が確実に高齢層へシフトしてきます。主力となる労働人口が減れば、当然税収も減ることになるでしょうし、加えて今後ただでさえ高齢化シフトで社会保障費の支出は増加すること間違いなく、国としても個人の労働生産性をすこしでも上げていかなければ、国としての競争力がどんどん落ちて行ってしまう、そんな危機感が多大にあるように思われます。
上記図1を作成しながら感じたのですが、この行政の試みは過去行われた「農地改革」の様なことを労働市場において緩やかに行おうとしてるのではないか、とも感じられます。おそらく、日本においてこれまで優秀な学生は大手企業への就職やキャリア官僚として活躍され、一生一つの仕事を全うすることが良しとされてきたのではないでしょうか、ところが実際にはそのような優秀な人材は、他にも同時並行に実力を発揮することができるポテンシャルを秘めているようにも思われ、またそのようなエリートの方々でなくとも複数の職業で活躍する余力を残しているのではないでしょうか。(例えば大手企業で法務をされていた方が中小企業の法務アドバイザーをする等。)
このように考えますと、政府の(ある程度の)お墨付きを得ながら「副業」・「兼業」を行うことは、(少々大袈裟ですが)ある意味中世ヨーロッパの「農奴解放」や戦後日本の「農地改革」に通ずるような、なにか日本における労働者の立場が、緩やかながら自立していくことを認められるような労使関係の変化を促すものであるように思われます。それは、緩やかな変化ながら雇用契約に縛られた労働者(被雇用者)の解放を促していく新しい社会の契約システムの始まりとも言えるのではないでしょうか。
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